こんにちは、ジェスリードの滝口祐幸です。
「名言でマインドチャージ」のブログを開いていただきまして、ありがとうございます。
このブログは、「名言でマインドチャージ」ということで、世界のことわざや名言によって、目標に向かって進むために必要なパワーマインドを充電することが目的です。
今回、テーマにする名言は、「小人(しょうじん)閑居(かんきょ)して不善を為す」です。
これは、「小さな人物は、暇になると、とかく悪いことをするものである」という意味のことわざです。
ここで言う「小さな人物」とは、「人格が低い人」のことですが、確かに、人格の低い人は、暇になって、しかも誰もいない所に長く一人でいると、悪いことをしやすいと言えます。
逆に、人格の高い大人物の人は、同じような暇な状態で、一人でいても、決して悪い行いをしないものです。
大人物が、誰もいないところでも、決して悪い行いをしない理由は、この世界を貫いている「善因善果、悪因悪果の法則」を知っているからです。
「善因善果、悪因悪果の法則」とは、仏教の教えの1つで、「善の行いをすれば、善果という喜びの結果が生じ、悪い行いをすれば、悪果という苦しみの結果が生じる」という法則です。
実際、人の人生を長いスパンで見ると、この「善因善果、悪因悪果の法則」の通り、善い行いをし続けた人は、最終的には幸せな人生を歩んでいると言えます。
逆に、人が見ている時は真面目にやり、人が見ていない時にはさぼるような、ずるい生き方をしている人は、最終的には、そのずるい行いの報いを受けて、苦しい人生になっている人が多いように思います。
「天知る、地知る、我知る」ということわざがありますが、誰も見てないと思っても、天は見ているし、自分自身が一番知っているわけです。
その宇宙の絶対の法則を知っている人が、大人物と言われる「人格の高い人」と言えます。
東洋哲学では、「人は、自分の人格に相応しい人生を送る」と言います。
つまり「人はごまかせても、天はごまかせない」と、東洋哲学で断言しているのです。
智慧の足りない愚かな小人は、この宇宙の法則を知らないのです。
知らないからこそ、目先の利益に目がくらみ、人をごまかし、社会をごまかし、ずるい行いをしてしまうのです。
「天が見ている」という事実を知っていたら、おそらく誰も、仕事における不正を犯したり、人を騙す詐欺的な行為をすることはないと思います。
ところで、「天知る、地知る、我知る」の「天」とは、なんでしょうか?
「天」とは、儒教でよく使われている言葉ですが、仏教では「仏」、キリスト教では「神」、老荘思想では「道」と表現されている存在で、私たちに命を与えてくれた「宇宙の大生命」であり、この宇宙のバランスを取っている「宇宙の力」のことです。
そして、儒教の「天」にしても、仏教の「仏」にしても、キリスト教の「神」にしても、老荘思想の「道」にしても、共通しているのは、その宇宙の大生命と言われる存在は、私たちを幸せに導くため、私たちの人格を高めるために、様々な働きかけをしてくれているということです。
その天の働きかけの1つが、「善因善果、悪因悪果の法則」です。
自分の人格を高める行いをする時、善因善果、喜びの結果が生じるから、人は、ますます自分の人格を高める善い行いをするのです。
それとは逆に、自分の人格を下げる悪い行いをする時、悪因悪果、苦しみの結果が生じるから、悪い行いをしないように注意するようになるわけです。
そういう意味で、この世界は、親が、わが子の成長を願い、ある時はやさしく、ある時はきびしくしつけてくれるように、宇宙の大生命と言われる偉大な存在によって、常に見守られているのです。
そう考えると、この世界は、大きな愛に満ちていると言えます。
そして、この世界は、複雑なようで、非常にシンプルな世界であると言えるでしょう。
【今回の名言】
小人(しょうじん)閑居(かんきょ)して不善を為す
【今回の教訓】
出来る限り、人格を高める善い行いをしよう!それが幸せに生きる方法である。