· 

袖振り合うも他生の縁

こんにちは、ジェスリードの滝口祐幸です。

「名言でマインドチャージ」のブログを開いていただきまして、ありがとうございます。

このブログは、「名言でマインドチャージ」ということで、世界のことわざや名言によって、目標に向かって進むために必要なパワーマインドを充電することが目的です。

 

今回、テーマにする名言は、「袖(そで)振り合うも多生(たしょう)の縁」です。

これは、「知らない人と、道でたまたま袖が触れ合うことも、単なる偶然ではなく、前世の深い因縁があってのことである」という意味のことわざです。

 

しかし、次のような意味で受け取っている人が、多いようです。

 

「袖振り合うの、多少の縁」

 

つまり、多くの人は、「多生」ではなく、「多少」と思っている人が多いようです。

「多生」を「多少」と受け取ると、このことわざは、次のような意味になります。

 

「知らない人と、道でたまたま袖が振り合うことも、単なる偶然ではなく、少しの縁があってのことである」

 

「多小」という意味は、「少し」という意味ですが、「多生」というのは、仏教の言葉で、「前世」のことです。

ですから、このことわざは、「道で袖を触れ合うことでも、前世の深い縁があってのことですから、深くお付き合いする人とは、並々ならぬ縁があってのことである。だから、今、お付き合いしている人との縁を大切にしましょう!」というメッセージがこめられているのです。

 

その事実を考えると、「親子になる」「家族になる」ということは、言葉で表現できないほどの深い深い縁があると言えます。

 

仏教の「父母恩重経(ふぼおんじゅうきょう)」という経典に、次のような教えが説かれています。

 

人のこの世に生まるるは、宿業を因とし、父母を縁とせり

 

これは、「人は、過去世に行ってきた行為を因とし、両親を縁として、この世に生れることができた」という意味の教えです。

つまり仏教では、「前世に人間に生まれるだけの善い行いをしてきたことと、両親との深いつながりによって、人間として生まれることができた」と言うのです。

 

以前、ある遺伝子工学の教授が、「人間に生まれる確率は、宝くじで、一億円の当たりくじを100回、連続で当たるようなものである」とおしゃっていたのを、聞いてことがあります。

この地球上に、数えきれない生命が存在することを思えば、その中で、人間に生まれることは、確かにそうだと思います。

 

ですから私たちは 前世で人間に生まれるだけの善行をしてきたのだと思います。

私たちは、人間であることにもっと誇りと自信を持つべきです。

「人間に生まれるべくして、人間に生まれた」、そう自覚して生きると、もっと時間を大切に使うようになるはずです。

 

それに合わせて、「両親の縁によって人間に生まれた」という事実を自覚すると、父と母に対する感謝が生じます。

父と母は、私たちを人間として産んでくれた大恩人です。

たとえ生んだ後に、酷い接し方をしたとしても、人間として産んでくれた恩は、海よりも深いと言います。

 

私たちは、人間に生まれたからこそ、多くのこと学ぶことができますし、色んな夢を持つこともできるのです。

人間として生まれたからこそ、色んなことに挑戦できるのです。

 

読者の皆さん、人間として生まれた因縁をしっかり自覚し、これからの人間としての時間を大切に使って下さい。

 

 

【今回の名言】

袖(そで)振り合うも多生(たしょう)の縁

 

【今回の教訓】

人間として生まれることができた因縁を自覚し、人間としての時間を大切にしよう!