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罪を憎んで、人を憎まず

こんにちは、ジェスリードの滝口祐幸です。

「名言でマインドチャージ」のブログを開いていただきまして、ありがとうございます。

このブログは、「名言でマインドチャージ」ということで、世界のことわざや名言によって、目標に向かって進むために必要なパワーマインドを充電することが目的です。

 

今回、テーマにする名言は、「罪を憎んで 人を憎まず」です。

これは、「あくまでも犯した罪を憎んで、その罪を犯した人を憎んではならない」という意味のことわざです。

 

テレビのニュースを見ていると、「それでも人間か!」と言いたくなるような、酷い事件がたくさん報道されます。

そういう事件を見ていると、その事件を起こした人を、「人間じゃない!」と否定したくなります。

 

しかし、私たち人間は、誰でも、罪を犯してしまう可能性があるのです。

仏教に、「十界(じゅっかい)」という深い教えがあります。

これは、人間の心には、十界といって、次のような十の心が存在しているという考え方です。

 

地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏

 

難しくなってしまうので、細かい説明は避けますが、簡単に言えば、人の心には、仏と菩薩といった「自分も他人も、幸せにするような美しい心」もあれば、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅といった「罪を犯してしまうような悪い心」もあるということです。

 

ですから、人は誰でも、巧妙な悪の誘いに惑わされて、その悪い心が増長し、思わず悪いことをしてしまうことが大いにあるのです。

 

つまり、人間は、それほど強くないのです。

そして、それほど賢くもないのです。

どんなに偉そうに見えても、人間は、みんな不完全で、未熟で、不安定な存在なのです。

 

だからこそ、私たちは、日々の生活の中で、その不完全で未熟な人格を高めるために、頑張る必要があるわけです。

だからこそ、私たちは、日々の生活の中で、協力し合う必要があるのです。

そして、だからこそ、罪を犯した人を、「最低な人間」と蔑視し、必要以上に嫌ってはならないのです。

 

仏教では、「サンガ」の必要性を説きます。

サンガとは、「正しい教えを学び合う仲間」のことです。

つまり、仏教では、心を磨く修行をする時に、一人孤独で修行するよりも、サンガということで、同じ心を磨く修行をする仲間と一緒に、修行することを勧めるのです。

 

それは、一人で修行するよりも、仲間と共に修行する方が、お互いに励まし合ったり、教えあったりできるから、より良い修行ができるという理由からです。

 

お互いに、不完全な人間同士です。

お互いに、出来ない所を責め合うのではなく、お互いに、出来ない所を認め合いながら、共に幸せに生きることができるように、支え合い、励まし合い、高め合っていくのが、理想の社会だと思います。

 

 

【今回の名言】

罪を憎んで 人を憎まず

 

【今回の教訓】

人間は、みんな不完全で、未熟で、不安定な存在である。だから、みんなで幸せに生きることができるように、お互いに、支え合い、励まし合い、高め合っていきましょう!